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2019年を振り返って。

2020年の目標設定に向けた、2019年の出来事や取り組んだことの振り返りです。
今年は転職活動中心の生活だったので、その振り返りみたいになっています。
#ちょっとだけバイク要素もあり。

2019年1月
前年の12月に転職を本気で考えるきっかけとなった出来事があり、職務経歴書の作成や転職サイトのdodaへの登録などを進めていたが、転職活動を本格的に開始したのは2019年の年明けからだった。doda経由で全国様々な転職エージェントから面談の要請が来ていたが、この頃はまだ、福岡にUターンすることだけが転職の目的であったため、地元福岡の転職エージェントを中心にコンタクトをとっていた。そんな中で、2月の頭に福岡の住宅設備機器メーカーの一次面接を受けることになり、その準備を進めていた。

2月
月初に住宅設備機器メーカーの一次面接を受けにいった。とても寒い日だった。業務内容もシャープで取り組んでいたものとある程度一致していたし、面接の内容も良かったと思ったが、結果の連絡がなかなか来ず、面接から18日程ほどしてから不採用の連絡があった。この時はかなりショックだった。
他の応募者の方が上を行ったのでということであったが、後から考えれば、あの回答はまずかったかな…と思われる回答があり、正直自分が望む業界ではないことや、Uターンを前提とした志望動機であったことが受け答えから透けて見えてしまったのだろうと思う。

3月
前月の「一次面接落ち」という結果がかなり響いたのか、対外的にスキルを示すために色んな資格試験を見て回り、どうすればうまくいくのか探っていた(迷走していた)が、それと時を同じくして、次年度に向けた仕事も忙しくなり始めたため、次第に転職活動からは遠ざかっていった。

4月-5月
この頃は、転職活動そっちのけで、週末毎に高野龍神スカイラインを経由して龍神温泉に入りに行っていた。前から良く行く温泉だったが、毎週末に行く程ではなかった。もやもやした気持ちを抱えた状態で部屋にいるのが嫌だったのだろうと思う。そんなこんなで、バイクの走行距離が面白いように増えていった。
#昨年10月に祖父母を龍神温泉(下御殿)に連れて行ったのだが、とてもよかったと今でも言ってくれる。よかった。

6月
2013年に納車したFJRの走行距離が100,000kmを超えた。達成した場所は高野山のごまさんスカイタワーだった。30,000km程度のFJRを安く譲ってもらえることになったので、栃木県まで受け取りに行った。行きは夜行バス。帰りは自走だった。しかし、このFJRは後にぶっ壊れる。
転職エージェントの方からは、福岡の製造メーカーを中心に求人の紹介を貰っていたが、どの求人についても、具体的に働いているところをイメージできず、求人票を確認するだけで、実際に応募は行わなかった。

7月
会社の計画年休制度を使って10連休を作り、連休の最初に大阪に泊ってUSJに行った。これはすごく楽しかった。連休の残りの日は、地元でゆっくりとしていた。月末に、転職先となる広島の自動車メーカーに関する求人情報をdodaから貰った。これは、全体公開前の事前案内ということだったが、福岡の求人じゃないしな…と思ってその時に応募はしなかった。ただ、面白そうな仕事内容だなと思ってアーカイブせずにメールの受信ボックスに残していた。

8月
8月は色々なことがあった。まず、月初に部長から呼び出され、「今の仕事を止めて明日から組織横断の特別チームに参加してね。」という指示があった。翌日には、同じフロアで30m位離れた場所に席を移動して新しい仕事を始めた。ただ、席だけの移動で所属などは前のままという少し歪な状態であり、前にやっていた仕事がぱったりとなくなったわけではなかったので、残務処理や引継ぎの作業などで忙しかった。
時を同じくして、夏季休暇が始まる前に事前案内を貰っていた求人が本公開になりますよ という連絡をdodaから貰った。少し悩んだが、以下のようなことを考えて本公開になった2時間後にdoda経由で求人に応募した。

福岡市内の求人はエンジニア職が多く、実務でプログラムを書かずマネジメントばかりをしている私にとって、これら求人は実務経験が足りなかった。それ以外の職種で求人を探すこともできたが、自分のスキルとやりたいことの一致が図れるような仕事は少なかった。7年間、自分なりに頑張ってシャープの中でもある程度の評価をしてもらっているつもりだったが、一歩外に出るとそんなものは全く通用しないのだと転職活動を通じてわかった。このままの成長スピードでは、自分の大切なものさえ守れなくなってしまうかもしれない。新しいことにチャレンジする機会を逃してしまう前に、福岡だけではなく広島まで視点を広げてみようと思った。

9月
書類選考に通過し、広島へ面接を受けに行った。面接は月曜日だったため、その日は仕事の休みをもらった。半年経っているから当たり前なのだが、2月の面接の時と正反対でとても暑い日だったのが印象的だった。面接の手応えとしては、なかなかに良かったが、前回の失敗もあり期待しないで待っていたら、10日ほどして一次面接のみでの採用連絡を貰った。翌日には、直属の上司(本来の所属の課長と特別チームの課長2人)を会議室に呼んで退職の意向を伝えた。退職に際しては、特別チームへの移動に伴う引継ぎ作業を既に開始していたため、業務の引継ぎ作業などは割とスムーズに進んだが、退職決裁が思うように進まなかった。結局、退職決裁が下りたのは、最終出社日の前日だった。

10月
退職決裁は下りていないものの、ギリギリになると送別会もできないであろうと配慮があったらしく、退職の情報は関係者からじわりじわりと関係者にリークされていた。退職のことを知ったメンバーから連日飲み会の誘いがあり嬉しかったが、本当に連日で大変だった。最終出社日の朝礼時に退職の挨拶をしたが、それ以外は普段と変わらずに夕方近くまで忙しく仕事をしており、全然最終出社という感じがしなかった。16時を過ぎてから退職の挨拶メールを出すと、色んな方から電話やメールを貰い、今度は定時ギリギリまでそれらに返信していた。また、帰る前に自分宛ての荷物が職場に届いたので何だろうと思ったら、東京のメンバーが記念品を送ってくれていた。
本当に良い人たちに恵まれていたのだと改めて感じた。
月末退職日までの有休消化期間は、一度地元に戻りゆっくりしてから、荷物の送り出しなどをしてから広島に引っ越した。これからなかなか気軽に来れないだろうと思って、奈良にいた最終日には龍神温泉にも行った。7年間過ごした部屋が空っぽになった様は、もうここには戻って来ないのだな と少し感慨深いものがあった。

11月
現職に着任。一通りの方に挨拶をしたが、一緒に働くメンバーは本当に選りすぐりの精鋭の方々ばかりだった。やる気はおそらく今が最高の状態だろうということで、金にものを言わせて英会話教室とスポーツジムに勢いで入会した。この判断は良かったと思う。

12月
職場の環境にも慣れてきて、関係部門にも顔なじみが増え、ここからが正念場というところ。自分のペースで頑張るしかないのだけれど、シャープでの業務経験や転職活動を通じて感じだことを心に止めおきながら、常に成長を続け、守りたいものを守れる人間になりたい と考えている今日この頃である。

2019年を振り返って。自分だけではなく、誰しも同じようなことで悩んだりすることはあるとは思うけれども、「こうなりたい。だからこうしなきゃ。」と考えることがあっても、それを継続的な取り組みとして続けていくことができなかったことがただただ悔しいですね。これまでに何度も何度も年明け最初の目標として同じような改善を掲げるけれど、一向にできていなくて目を逸らしている事実もありますが、小さく、細かく、だけど日々の生活で少しずつ振り返って着実に達成していくことを、これからはできると感じています。

シャープ株式会社を退職しました。

10月31日付で7年半勤めたシャープ株式会社を退職し、自動車メーカーに転職しました。
このブログとtwitterのアカウントは前職の方々に身バレしていて、踏み込んだことを書くとどうにも各方面からダイレクトにお叱りを頂きそうなので、説明不足で多少支離滅裂な感じはありますが、ここに書くのは私の軽い経歴と御礼の言葉だけとさせてください。細かい内容や質問事項は、メールかこちらのアカウントにDMをご連絡を頂ければ、答えられる範囲でお返事致します。

まず、なぜシャープに就職したかですが、学生時代に液晶を使って世の中のビジネス活動や知的活動をもっと活性化したいと考えていたからです。この希望は配属に直接反映していただき、入社してから半年間は新入社員研修で別の仕事をしていましたが、その後の7年間はずっと奈良にいて、上記ビジネス領域の商品企画部門に所属していました。

奈良のド田舎で商品企画ってどうなのよ。って思っちゃいますが、TV会議は日常茶飯事で国内出張は頻繁にありましたし、遠隔地とのコミュニケーションは活発に行われています。それでも、もうちょっと外に出て世の中を見る機会が必要では?と感じることはありましたけどね。それから、海外出張にも何度か行かせてもらいました。こちらの記事なんてのは、海外出張の時に夜フラフラ出歩いて撮影してきたものです。はい。すいませんでした。

私は、工業高専出身で元々プログラミングも好きだったので、ソフトウェアエンジニアやシステムエンジニアを希望配属先として提出していました。これにもちょっとしたきっかけがあって、学生時代に見た「秒速5センチメートル」の貴樹くんがその当時とてもカッコよく見えたんですね。こんな風に仕事してみたいなぁって。ただそれだけの理由でしたが、7年間ソフトウェア関連商品の企画業務を続けることができたのは、学生時代に抱いた「ソフトウェア/システムエンジニアってなんかカッコいいね」という価値観が下支えしてくれたからだと感じているので、色んな意味でこの作品には支えてもらったなぁと今でも思います。

で。なぜエンジニアを希望していたのに、商品企画部門への配属になったかというと、面接時に行った卒業研究のプレゼンがよかったそうです。まぁプレゼンは得意だから(慢心)。同じ勤務地の技術系採用者の中で、唯一の企画部署への配属ということで、当時は複雑ながらも嬉しかったのを覚えています。え?そもそもソフトウェアエンジニアやシステムエンジニアを目指すならそこの会社じゃないだろって?その指摘は俺に効く、止めてくれ。

それなりに辛い時期もありました。自分のキャパ的に辛かったのは、色々なことを任され、劇的にやる事が増えた2015年でしたね。この時からGTD(Getting Things Done)を取り入れ、現在のタスクマネジメントやストレスマネジメントの基礎を培うことができた思います。翌年の2016年には、色々な方が会社を去っていく寂しさを経験しました。いや、ホントどれだけ ”退職のご挨拶” メールを見ればええのよーってくらいに。

それから、「私が大切にしたいもの」である技術スキルと「会社から求められているもの」であるマネジメントスキルの不一致に悩んだ時期もありました。7年(5年+2年)間工業高専で技術の勉強をして、これからエンジニアとしてたくさん技術スキルを身につけて生きていくんだーという覚悟でいたところ、事務系の企画職になったわけですから。業務上でコーディングをする時間はなかったですし、組織の調整事に大半の時間を使う企画の仕事をどのように受け止めて、次にどのようにつなげていくか、正直今でも試行錯誤しているところです。ただ、高専で学んだことが基礎としてあったからこそ、社会人1年目から企画職に携わることができたと思っています。

色々ありましたが、こうして私自身が ”退職のご挨拶” メールを出す立場になって、色々な方から「飲みに行こうぜ!」と、吹き出物ができるくらい毎日連れまわされたり。三条通りでパスタ屋を開店予定の課長さんからは夜なべして作ってくれたレザークラフトを頂いたり。遠く離れた東京のメンバーからもサプライズで記念品を頂いたり。私がシャープにいた7年半の間に、会社的には不安定な時期が続いたりはしましたが、本当に同僚、上司、先輩、後輩等々 人に恵まれていたんだなぁと今更ながらに感じているところです。

一応、退職エントリらしく退職の理由も書きますが、決して何かが嫌になったからというわけではなく、自身を取り巻く環境や価値観の変化が主な理由になります。学生時代に真剣に考えていたことも、7年も経つとすっかりと変わってしまうようで、その変化と仕事を再度一致させたというところです。いつでも新しいことにチャレンジする気力、社会をより良い方向に導くための誠意と創意をこれからも持ち続けたいですね。

シャープで学んだたくさんのことを活かし、新天地でも頑張ります。
本当にありがとうございました。